ランニングヒストリー


1979年(13歳)
・中学2年の時、運動会か何かで1500mに出場。参加者中真ん中くらいの順位だったと思う。

1981年(15歳)
・高校校1年の時、校内マラソン大会8キロで12位。賞品の湯飲みをもらう。

1982年(16歳)
・高校2年の時、校内マラソン大会8キロで2年連続12位。湯飲みが2コ。

1985年(19歳)
・大学の体育の時間に1500mを走る。クラス内で気合のトップタイム(確か)。他にマジで走っているやつはいなかった?

1989年(23歳)
・入社と同時にジョギング部に半強制的に所属。山中湖ロードレースにて市民マラソン大会デビュー。練習は前々日に5キロくらい走っただけ。いやいやだったのできつかった。

1990年(24歳)
・ジョギング部の幹事をやらされたせいか、超ランニングいやいや状態。タイム的にもこの年がサイアク。

1991年(25歳)
・5月  この年の山中湖ロードレースを契機にとつじょランニングに目覚める。定期的に練習開始。

1993年(27歳)
・2月  第38回小田原地区実業団駅伝で、ちょっとマジな駅伝へデビュー。1キロ3分代のラップがあたりまえの速いヒト達ばかりの中で、区間30/32位と初めてビリになる恐怖を味わう。

1994年(28歳)
・9月  初の故障を経験、左膝が痛くて2〜3週間まったく走れず。これ以降、左右まんべんなく1年に1度くらい膝を故障することになる。
・11月 第19回河口湖マラソンにてフルマラソンへ初参加。3時間54分05秒。

1995年(29歳)
・磐田・大藤マラソンで2度目のフルマラソン参加。3時間30分を狙って前半とび出すが30キロで足がケイレン。マラソン大会初のウォーキングを強いられるとともにフルマラソンの恐ろしさを痛感する。ちなみにこの時の20キロのラップは1時間37分くらいだった。無茶しすぎだった。

1996年(30歳)
・2月  ’96彩の国シティマラソンにてフルマラソン自己ベストを記録。3時間41分14秒。
・10月 東日本国際駅伝の1区で10キロ自己ベストを記録。手動計測で41分くらい。(でもこのコースちょっと短いような気もする。)
・10月 第2回手賀沼マラソンにてハーフマラソン自己ベストを記録。1時間29分23分(ネットタイム)。

1998年(32歳)
・全国実業団駅伝で好成績を収めている親会社の女子陸上部の練習を見学させてもらう。箱根駅伝に出場したことのあるという男子コーチの走りを目の当たりにしてアスリートランナーのすごさを痛感する。

1999年(33歳)
・4月  第18回まほろば国際マラソンで、初のトイレ休憩を経験。
・10月 99あつぎマラソンでハーフマラソンの自己ベスト更新。1時間26分57秒。10キロのラップも39分台だった。このコース、ちょっといんちきくさい。
・12月 ウィルス性肝炎のため長期休養。

2000年(34歳)
・3月  練習復帰。しかし繰り返し風邪をひき、まともに練習できるようになったのは5月くらい。
・5月  山中湖ロードレース2000で半年ぶりにレース復帰。タイムはハーフマラソン自己ワーストの1時間46分台。


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